ベストミステリ10冊2007
『獄門島』
横溝正史 角川文庫 ¥580
『亜愛一郎の狼狽』 
泡坂妻夫 創元推理文庫 ¥714
ミステリ好き≠公言すると必ず訊かれる質問に、一番好きなミステリ作品は何?――というのがある。いったい自分がどれくらいの作品をこれまで読んできたのかは定かでないが、小学生の頃から答えは一貫して変わっていない。この横溝正史『獄門島』こそ、私にとって、いつまでも輝きを失わない至高の作品である。題名、舞台、登場人物、仕掛け、仕掛けの見せ方、解決の妙、驚愕の真相、そしてラスト――それら秀でたものすべてが、いささかもお互いを殺すことなく物語として昇華した妖しき美しさは、世界の名立たる大傑作にも決して劣るものではない。私はこれからも読める限りのミステリを読み倒していくつもりだが、それはもしかしたら、この妖しき美しさが完璧であることを確認するための永い旅なのかもしれない。つまりは、あらゆる「傑作」と呼ばれる物語が、『獄門島』に屈するのを、ひたすらに見つめ続けたいだけなのかもしれない。  そもそも本当は2000年に「このミス」と「本格ミステリベスト10」で第1位に輝いた、『奇術探偵曾我佳城全集』上・下(講談社文庫)を挙げるつもりだったのだが、作業進行中に品切れ絶版になってしまうというアクシデントに見舞われ、泡坂妻夫作品を読んでいない読者の多い現状を哀しくも痛感したので、ここは急遽「いま読まれるべき作家第1位!」として、記念すべき泡坂妻夫デビュー作『亜愛一郎の狼狽』をオススメしたい。チェスタトン「ブラウン神父」シリーズやホック『サム・ホーソーンの事件簿』のような仕掛けの解明が楽しい短編集ゆえ、ミステリ初心者の若年読者にも大いに喜ばれるものと確信する。青年カメラマン亜愛一郎の推理の冴えに魅了された方は、続編『亜愛一郎の転倒』、『亜愛一郎の逃亡』も、ぜひ。ちなみに愛一郎のご先祖様が活躍する『亜智一郎の恐慌』というシリーズ番外編もあるので、こちらも併せて。練達の業に酔え!
『脳男』
首藤瓜於 講談社文庫 ¥620
『霧声邸殺人事件』
綾辻行人 新潮文庫 ¥900
 歴代乱歩賞受賞作のなかでも、ひと際異彩を放つ『脳男』というタイトルと、首藤瓜於という筆名は、その視野を日本ミステリ界全体に広げても、やはり一読忘れがたいものがある。2000年の「週刊文春」ミステリーランキングで、第1位に輝いた本書は、連続爆破事件の犯人を捕まえる話――かと思いきや、そのアジトに居合わせた「鈴木一郎」なる感情のない男の深層(真相)に迫る方向にシフトする。トマス・ハリス『羊たちの沈黙』(新潮文庫)登場以降、天才的犯罪者の協力で事件を解く物語に多くの書き手が飛びつき、うんざりするほどの劣化型ハンニバル・レクターが産み落とされてきたが、『脳男』は単なる亜流に堕することなくその形を活かしてみせた、数少ない成功例といえる。現在、『脳男2』の連載も順調に進んでおり、そう遠くないうちにわれわれは、新たなる衝撃を目の当たりにするはずだ。いますぐ本作を読み、あなたもその日に備えるべし。  第45回日本推理作家協会賞受賞作『時計館の殺人』(講談社文庫)と、1990年の「週刊文春」ミステリーランキング第1位の『霧越邸殺人事件』。綾辻作品のベストを考えるとき、いつもこの2作品で私は大いに悩む。つまりは、それほどの傑作ということなのだが、驚愕の仕掛けに壮大なラストが印象的な徹頭徹尾美しい本格ミステリである『時計館の殺人』に対し、館シリーズの番外編ともいえる本作の最大の特徴は、本格ミステリと怪奇性の融合にある。館シリーズのなかの某作品でもその試みは一応成されているものの、より徹底して効果的に仕立てられた本作のそれは、単なる一場面を越えて、読み手に拭いがたい不穏を与えることに成功している。この殺人事件を真に演出したものは、いったい何か? ページを閉じたあとの余韻から浮かび上がる黒い気配。私はこの戦慄を味わうたびに、本作の完成度に深く深く唸らずにはいられない。
『生ける屍の死』
山口雅也 創元推理文庫 ¥1260
『死の泉』
皆川博子 ハヤカワ文庫JA ¥903
 「このミス」特別企画で、過去10年間(1990〜2000年)のベスト1に輝いた、わが国最高ランクのミステリである。SF的設定等で独自のルールを設けて展開するミステリは数多く存在するが、そのなかでも「死者が蘇える世界」は特異であり、そんな世界で殺人事件を起こすことに果たしてどんな必然性があるのか? という魅力的な謎は真に秀逸といえる。のちに発表された、パラレル世界のイギリスを舞台にしたシリーズ――パンク刑事キッド・ピストルズの前身ともいえる、パンク探偵グリンが、自らの死を隠しつつ、肉体が朽ちるまでに事件の真相に迫れるかという緊迫も、ユニークな作品世界を引き締めるとともに、重くなりがちな「死生観」のメッセージ性を損なうことなく話の停滞を抑える効果を発揮し、厚みと軽さの二重奏で突き進む異世界推理絵巻を心地よく加速させる。死んでから読める確信のないひとは、生きているいまのうちに読もう(笑)。  醜悪と美は溶け合って同一な存在になることはないが、重なることの相性においては決して悪くはない――という考えをまったくの間違いだと斬り捨てることは、果たして正しいだろうか? 醜悪を排除して美を増していくことと、醜悪の配し方で美を際立たせていくことと、より研ぎ澄まされて究極的な美を求めるに効果的な方法は、いったいどちらであろうか? 物語で幻想世界をたゆたうと、こんな考えが頭をもたげることがときどきあるのだが、皆川作品もまた私にとってそんなきっかけを与える困った存在であり、それゆえに読み逃すことができない。ここには狂気に彩られた醜悪が幾重も綾なして終始連なっているが、そこからほんのりと滲み、ときに盛大に噴きこぼれる美が、醜悪を舐めるように伝って艶やかに濡れ光ると、それは絢爛となって読み手を圧倒する。1997年「週刊文春」第1位。ミステリが勝ち得た、最高級の絢爛がこれだ。
『猛き箱舟』上・下 
船戸与一 集英社文庫 各¥880
『シンプル・プラン』
スコット・スミス 扶桑社ミステリー ¥756
 物語で火傷するために、小説を漁る――。十代の頃の読み方を振り返ると、そんな感じだった。ゆえに私は学校の図書室を嫌った。ぬるい。決定的にぬるいのだ。用意されたものの毒気のなさに、そして陳腐なきれいごとで自分の周りをオトナたちに勝手に囲われることに心底うんざりしていたのだ。書店と古本屋ばかりを金もないのに渡り歩いていたのは、そのためだ。そこには高熱の毒気が山のように存在していた。そこはこの世の縮図だった。弱者をほふる強者とこの世を呪う弱者の真実をヘタに隠しはしなかった。だからこそ自分は、そんな掃きだめのような世界でも屈しない輝かしい人間性の一端を識ることができたと思っている。かつて『猛き箱舟』は、私を強烈に灼き焦がしてくれた。その痕は、もちろんいまなお消えることはない。物語で火傷したことのないすべての熱なき者を、本作が炙り抜いてくれることを願ってやまない。87年「週刊文春」第1位。  あぶく銭ごときで破綻していく者を、あなたはあっさりと嘲笑できるだろうか? もしイエスと答えたなら、いま破綻者を見下ろしているその場所が、じつはいかにもろくて、いつ向こう側の同類になってもおかしくないことを自覚しておくべきかもしれない。ささいな思いつき(シンプル・プラン)が、ドミノ倒しとなって惨劇に繋がっていく本作は、デビュー作とは思えぬ抜群のストーリーテリングで全世界2200万部を売り上げた、95年「このミス」第1位獲得の恐るべき傑作である。本年秋には、スコット・スミス待望の第2作が扶桑社より刊行されることもあり、この機会にぜひ一読をオススメする次第である。ちなみに、サム・ライミが監督した映画版の脚本はスミス自身が筆を取っているので、小説と併せてご覧いただくのも、また一興かと。読んで戦慄したあと、まだ嘲笑を顔に貼り付けていられるだろうか、さて……。
『夢果つる街』
トレヴェニアン 角川文庫 ¥693
『サイレント・ジョー』 
T・J・パーカー ハヤカワ文庫 ¥987
 ジョージ・P・ペレケーノスが、〈ワシントン・サーガ〉を代表とする一連の作品で、男たちの熱き物語を通してワシントンDCという街≠描き続けているように、本作はまさしく原題の通り、モントリオールの街――ザ・メインを描いた物語といえる。記念すべき「このミス」の第1回1988年版で第1位を獲得した本作は、猥雑な街の殺人事件をベテラン警部補と新人刑事が追っていくという、ミステリ的にはあまりにありきたりで手垢まみれのストーリーライン――と見えて、これがトレヴェニアンの筆にかかるとそんな情景は見事な輝きに激変し、年間ベスト級の大傑作となるのだから、まったく凄い。映像的でスピーディーな作品がもてはやされがちだが、細部をおろそかにせず筆を費やした、まるで名画のような物語は、文章の連なりのさらに向こうまでをも読み手の心に残し、単なるエンターテインメント作品以上の満足を得られるものと断言する。凄いぞ、これは。  まずはウワサが耳に届いた。確かあれは、年末ランキングの投票締切がそろそろ近づいてきたくらいだったと記憶している。「『サイレント・ジョー』が凄いらしい。今年のベスト1かも……」、と。あわてて読んで、そのウワサが真実であることを知った。そして、その年に読んだ傑作たちを押し退けて、すっかり私は『サイレント・ジョー』に惚れてしまった。何かオモシロイ作品は? などと訊かれようものなら「ジョーを読め!」と胸倉をつかまんばかりの勢いで、それはそれは熱烈にオススメしたものである。あれからハードカバーが文庫になるくらいに時間も経ったわけだが、いまなお当時の気持ちはいささかも薄れていない。2002年「週刊文春」第1位。もし世界水準のミステリとはいかなるものかを知りたいなら、この物語を読むといい。すぐ乾くような涙をひとすじふたすじ流させて終わりの小説もどきが絶対にたどり着けない、魂に届く物語を、いますぐ手に取れ。