自分だけのお気に入りの詩をさがそう

 今年の夏は小脇に詩集を抱えて山へ!海へ!
 もちろん、クーラーのきいたお部屋でごろ寝三昧のあなたも、灼熱のビル街を闊歩するあなたも、です!
 そんな気分にぴったりなのが、サイズも値段もお手軽な文庫本。気に入ったページの端を折ったり、線を引いたり、思う存分詩の世界に遊んでみてください。
 最初から順ぐりに読もうとするから放り投げてしまうんです。気ままにページを繰っているうちに、きらめく言葉との幸運な出会いがあるかもしれません。
『東海道中なるほど読本』
新田完三 リイド文庫 ¥500
『教科書でおぼえた名詩』 
文芸春秋編 文春文庫PLUS ¥530
 時間がない。もっと早く。もっと速く。そんな要求に応えた新幹線は今や、東京と京都を3時間でつなぐようになった。それでも、やっぱり、人は「歩く」ことを忘れないようだ。今、この東海道五十三次を訪ね歩く旅が流行り始めている。そんな旅する余裕なんてないよ、という方に朗報である。この本を手にとって、読むだけで、五十三次を気楽に訪ねることができる。文章を読む時間すらない、という方は、宿場の名前と、新田さん自作の川柳を読むだけでも全然構わない。例えば、一宿目、品川。 「女郎買う 客は人偏 有ると無い」 艶美な匂いがしつつも、皮肉を交えた洒落は川柳ならではの味。ぜひ、貴方お気に入りの宿場を探して欲しい。ちなみに私は、戸塚が好きだ。が、その歌は、ちょっとはずかしくて、ここには書きづらい。
皆川(千城台店)
 国語の授業は好きではなかったが、国語の時間は好きだったような気がする。好き勝手に教科書や「便覧」、辞書の好きなところをめくって過ごしていたことも、もはや遠い日の思い出となった。教科書から漱石や鴎外が消え、古典漢文の時間が減っていっても、騒いでいるのは世の中のほんの一部の人々にすぎない。学校で習うものではなく自ら出会うものだと言う人もいるが、教科書もまた出会いの場だったのだと思う。昭和二十年代から平成八年までの中学・高校の国語教科書から厳選した詩・俳句・短歌・漢詩を収録している本書をめくれば、誰しもいくつかは見覚えのあるものを見つけられるだろうし、こんなのやったっけ?とつい真剣になって目を通してしまうことうけあいだ。そして嬉しいのが巻末の「うろおぼえ索引」。「ふらんすへ行きたしと思へども…」「千里鶯啼いて緑紅に映ず…」。頭に残ったフレーズから、あの懐かしい作品を辿ってみてほしい。
岸(いわき店)
『あなたと読む恋の歌百首』
俵万智 朝日文庫 ¥483
『私の百人一首』
白州正子 新潮文庫 ¥500
何となく一緒くたにしがちな短歌と俳句、二つは全くの別物であるらしい。そして俳句愛好者の方々には怒られるかもしれないが、短歌の方が断然難しいように思う。たった十四文字増えるだけで、途端にその世界が込み入ったものに見え、意味が取れなくなってしまう。本書は俵万智が自ら選んだ百首をやさしくかみくだいて読み解いてくれる一冊である。与謝野晶子や寺山修司といったビッグ・ネームも、最近の短歌雑誌を賑わせている(と思われる)現役歌人の名前も等しく並び、幅広い作品に触れることができる。野田秀樹による解説で俵万智は「恋愛のミーハー」と断言されているのだが、何にせよミーハーは悪いことじゃないと、私も日々思っている。俵万智の読み方に「へぇそうか」と納得したり、逆に反発を覚えたり、この本で初めて知った歌人の名前を頭の片隅に留めておくのも悪くないのではないでしょうか。
岸(いわき店)
 中学生の頃。正月の時期になると学校で、百人一首大会が催されていた。はじめ、やる気がなくとも、いざ大会が近づくとなるや、みな一斉に諳んじ始めるのだから不思議なものだ。着物で身を包んだ先生の、朗々とした声が体育館に広がる中、静かな真剣勝負が繰り広げられた、その印象が強く残っている。当時は意味もよくわからず、とりあえず音だけ覚えた歌だが、改めて見直してみると、掛詞などの秘めたる妙に気付き、驚きを覚える。この一冊は、歴史的背景の詳しさもさることながら、著者が感じた「音」へのこだわりが述べられていて、親しみやすかった。どの歌もすてきなので、一番を決めがたいが、あえて私の一首選ぶなら、やはり、この歌。
つくばねの 峯より落る みなの川 こひぞつもりて 淵となりぬる
皆川(千城台店)
『町田康詩集』
ハルキ文庫 ¥630
『ハッピーアイスクリーム』 
加藤千恵 中公文庫 ¥620
何の気なしに読んだだけなのにこんなに攻撃的で、受身でいさせてくれない詞は初めてだった。激しい雨でも冷めることのない、ブリキのハートみたいな言葉。あるいは、零下の宇宙を凄まじいスピードで飛ぶ隕石。内から溢れるエネルギーに火傷しそうになる。町田康という人物、芥川賞作家であり、パンク歌手であり、俳優であるという。そして詩人。才能豊かで羨ましい限りだが、共通しているスタイルは強烈的に自由奔放であるということ。骨太でありながら、豪快に崩れ落ちそうな脆さ。崩れて尚、壊れない強さ。そんなある種退廃的な印象も併せ持つ。お読みいただければおわかりいただけるが、言葉がとても強い。しなやかでパンチがあって、いろいろな言葉が熱い弾丸のように撃ち込まれて来る。著者の熱気がのりうつり、こちらの高揚感まで高まってくる。これは手ごわい。バンド時代の歌詞まで知りたくなってきた。
小峰(IY船橋店)
 言葉は時に機関銃のようだ。
 岡崎京子の作品に「くちびるから散弾銃」という漫画はあるけれど(この漫画は女子の取り留めの無いおしゃべりを書き綴った素晴らしい作品です)そんな取り止めの無い言葉を五七五七七に乗せる。短歌というリズムある文体は日常会話に近いのかもしれない。
 びっくりするくらいに、直接的で、感情的な言葉が並んでいる、そしてそれは親近感のわく言葉たち。
『言葉しか残っていないけれどまだ言葉だけなら残ってはいる』
そう、だから私は書かないといけない、忘れないように。
『どうしようどうしていいかわかんないどうしようあたしあの人が好き。』
ね、こうやって。(『』の部分は本文より)
高橋(聖蹟桜ヶ丘店)
『新編 宮沢賢治詩集』
天沢退二郎編 新潮文庫 ¥540
『谷川俊太郎詩集』 
編・ねじめ正一 ハルキ文庫 ¥714
私のお気に入りというか印象深い詩は『永訣の朝』です。高校生の時に国語の授業で知って以来、忘れられません。病で死んでゆく妹の詩です。賢治の妹へ対する愛が溢れていて、悲しくも暖かい詩だと思いました。
 この詩の中で特に心に残っているフレーズは、『あめゆじゅとてちてけんじゃ』です。妹が「あさゆきとってきてください、賢治にいさん」と頼むのです。病床で最後のお願いをする妹。それを受ける兄の様子が目に浮かびました。
 宮沢賢治ってすごいなあ、詩ってこんなにも心に響くものなのだとこの詩を読み思いました。きっとこの詩集の中にあなたのお気に入りがあるはず。読んでみてください。
平出(本八幡店)
世界はいつだって、常に何かが欠け落ちているのだ。今この瞬間だって、世界のあちらこちらでボロボロと音を立て、あるいは音も立てずに何かが崩れ、失われ、消え去っている。人は往々にして無力な存在である。手をこまねいてその様をながめているか、いや、たいていの場合、気付くこともないのではないか。例えそれが自分の足場だったとしても。冷徹な詩人ならば、その状況をギリシア神話に昇華するのだろうが、熱い男、我らが谷川俊太郎はそれを許さないのである。この世界をあるべき姿にするために、言葉だけを携えて、決然と立ち上がるのである。切りはなされた破片を言葉の力だけで全体へ帰そうと、試み続けるのである。疑う者は「朝のリレー」を読むがいい。「生きる」を読むがいい。それでも信じないならしょうがない。「鉄腕アトム」を歌ってくれ。40年以上前から谷川は十万馬力で世界を優しく見守っているのだ。
古谷(いわき店)
『山頭火句集』
種田山頭火句集 ちくま文庫 ¥1050
『すみれの花の砂糖づけ』 
江国香織 新潮文庫 ¥540
 大正十五年四月、妻を捨て子を捨て「解くすべもない惑ひを背負うて、行乞流転の旅に出た」山頭火は、昭和六年、泥酔が因で留置場に拘置された。釈放後、知人宅に寄寓するも、まもなく一鉢一笠の旅を再開。流れ着いた九州の大宰府で、かの有名な一句を残す。
「うしろすがたのしぐれてゆくか」
 本人曰く――無能無才。小心にして放縦。怠慢にして正直。あらゆる矛盾を宿した山頭火は、食うや食わずの放浪の旅を続けながら、句作だけは一日たりとも怠らなかった。彼は生涯、意思の弱さに負け、貧の強さに負け続けた。が、最期の最期、念願かなって「ころり往生」を遂げる。昭和十五年十月、庵で酩酊後、心臓麻痺にて死亡。享年五八歳。
「分け入つても分け入つても青い山」
 中年男がかくありたいと夢想する、もうひとつの人生がここにある。
茶木則雄(本店・聖蹟桜ヶ丘店・いわき店 兼任店長)
恋をすることも、人を好きだという言葉も年齢を重ねればその様は変わっていく。
この詩集を初めて読んだのは20歳になる前でした。
何度読み直しても、感じとれることが全然違う。
わかってしまうこと、わからなくなってしまうこともある。
変わらないことは、いつになっても私たちは悲しんだり、喜んだり、表現をすることができるということ。
少女のころの私も、大人になった私にも、この詩集の言葉はいつまでも響いている。
高橋(聖蹟桜ヶ丘店)