ちょっと

              ヘン

        なひとに出会える10冊

変な人が好きだ。だから、一生のうちで何人の変な人に出会えるのだろうかと考えると、漠然とした不安にかられる。もっと出会いたいのに、人生は短い。だけど本のなかにはたくさんの変な人がいて、そんな不安を払拭する。吹き出したり、驚いたりしながら読んでください

      青木(千城台店)







 オンリー・ミー[私だけを]三谷幸喜著 幻冬舎文庫 ¥571

 個人的には「おいつめられて」が好きだ。これは三谷さんがのっぴきならない事情により、パンツをはかずに街を歩く話である。家を出てから帰ってくるまでの間に出会う災難の数々には、読んでいて圧倒される。「どうしてそこまで」という言葉が何度も湧きあがってくる。多少の誇張はあったにしても、ここまで追いつめられるのことはなかなかない。三谷さんの人生には、こんなにも悪いことが重なるのだろう。まだうら若き乙女である私が、三谷さんがパンツをはかずに街をうろついた顛末を事細かに説明するわけにいかないのが残念である。
 え〜、これを読んでいる皆さんはくれぐれもパンツを全て一度に洗濯したりせずに、替えはストックしておいてください。

 いろはに困惑倶楽部 原田宗典・編 角川文庫 ¥686
 この本と初めて出会ったのは、私がまだ女子高生で、『いろはに困惑倶楽部』が文庫化される前であった。本の帯にはこう書いてあった。
 「うちのじいちゃんは風呂が嫌いで、一週間入らないこともざら。ある日じいちゃんの足の裏に、緑色のフワフワしたものが生えてきた。病院に連れて行くと「こけです」と言われた」
 中を見てみると、ふえるわかめちゃんを肴に酒を飲んでいたら、胃の中でわかめが増えて救急車で病院に運ばれたり、中国の仕切りのないトイレで、恥ずかしいから傘で隠して用を足そうとしていたら、「何が始まるのか」と人が集まってきて余計注目を浴びたとか、とにかく「いろはに困惑倶楽部」の部員は強者揃いである。
 変な……いえ、素敵な経験をお持ちのかたは、是非「いろはに困惑倶楽部」に入部されることをお勧めします。

 牛への道 宮沢章夫著 新潮文庫 ¥438
 本音を言うと、この本については何も書きたくない。読まなければこの本が放つ変なオーラは分かってもらえないと思うから。だけど、そういうわけにもいかないので、何を書こうか悩み、まず『牛への道』を読み返すことにした。すると電車の中であるにもかかわらず、我を忘れて笑ってしまった。これでは自分自身が変な人である。
 再読して最も印象的だったのが第四章の「発掘1」、「発掘2」。ここでは宮沢さんが引越しの際に発掘した『実用 難読奇姓辞典』を紹介しているのだけれど、難読奇姓とはいえ、びっくりするような苗字がたくさん出てくる。
「六月一日宮」
「言語道断」
「万年青平」
「椴法華」
 読めなかった人は二〇五ページを見るのだ。それにしても、普通の苗字で良かったなぁ。

 ちくま日本文学全集 金子光晴著 ちくま文庫 ¥971

    お食事中の方は食事を終えてから読んでください。

金子光晴との出会いは突然だった。日頃からはばかりに本を持ち込んでいる私は、その日もはばかりの友となる本を探していた。そしてたまたま母の机上にあった『金子光晴』を掴んだのだった。
「もう一篇の詩」を読んで、私は衝撃を受けた。「恋人よ。/たうとう僕は/あなたのうんこになりました」とあったからである。斬新でありながら、おそらく恋愛の本質をついてきた表現に驚倒した。あまりの衝撃で他の詩が全て霞んだほどである。 
 『金子光晴』はその後、はばかりの友から私の所有物へと昇格した。時々読み返すたびにはっとさせられる。「だが、愛のすべしらぬ偽りの女、/その女だけは蔑め。それは女であって女ではないものだ。」……気をつけます。


 われ笑う、ゆえにわれあり 土屋賢二著 文春文庫 ¥448
 土屋先生のような人が傍にいたら、屁理屈ばかりこねくり回して、そのうえしつこくて、さぞ腹立たしいと感じてしまうにちがいない。だけど、そう思う一方で、ああいう人が自分が通っていた大学の教授だったなら、きっと授業をとってしまっただろうなぁと思うほどに魅力的だ。
 私が好きなのは、「学生との対話」である。ここで土屋先生は大学の先生がしばしば使う言葉を学生に聞かせる。
「すべてを疑え」
 それに対して学生は、「すべてを疑うならまず〈疑え〉という先生の発言から疑わなければなりませんよね」とこたえる。この学生の実在は甚だ疑わしいが、それでも私は、彼女が放ったとされる言葉を、自分の恩師にもぶつけてみたいような気がした。

 普賢/佳人 石川淳著 講談社文芸文庫 ¥980 

 こんな男が夫だったならば、私だって愛想を尽かすだろう。
『佳人』の主人公はエキセントリックで、しょうがない奴だ。仕事もしないで展望の中心を探し、妙な格好でうろうろし、訳のわからないこと口走っては、突然皿を割ったりするので妻からはきちがいだと思われている。急に自分が空虚だという自覚をもって、死のうと思い立って、暫くは、普通の人のように振舞う(それができるならば普段からそうしてほしいものだ)。列車にはねられようとして夜中に線路を歩けば、悪運が強いのか、列車が来なくて死ねない。挙句の果てに妻と、妻の姉の夫が浮気しているところを目撃してしまい、以前から好意を寄せていた妻の姉に抱きつく。
 読み終えて最初に、「お前は一体何をやっているのだ」と思った。私はこんな人とは結婚しないぞ……と思ったが、『佳人』の主人公はとても教養があるので、教養人を目にするとくらくらしてしまう私は、うっかり結婚してしまうかもしれない。

 文人悪食 嵐山光三郎著 新潮文庫 ¥743
書店でこのようなものを手にとっているくらいだから、これを読んでいるあなたは本好きに違いない。本が好きな人は作家の人となりにも興味があるのではないだろうか。そして、人柄を端的に伝えるのに、食べ物の話ほど好都合なものはない。
『文人悪食』に登場するのは近代日本を代表する文豪三十七人である。彼らは各々の強烈な個性をもって食べ物と対峙した。森鴎外が甘党で、ご飯の上に饅頭をちぎってのせて、その上から煎茶をかける饅頭茶漬けを作っていたと聞けば、鴎外の厳しそうなイメージはたちまち、近所のおじさんのイメージに近くなってしまう。岡本かの子が作った卵焼き(かの子は料理がまったくできなかったそうなので、どんな卵焼きができたのかと考えると恐ろしいものがある)をうっかり誉めてしまったばかりに延々卵焼きを食べなければならなかった青年の話を読めば、まるで彼女が魔女か何かのような気がしてくる。三十七人の作家と食事を共にしたかのような親近感と、恐ろしさが同時に湧きあがってくる本だ。

 椰子椰子 川上弘美著 新潮文庫 ¥476

 川上弘美さんの『センセイの鞄』を私は溺愛しているけれど、『椰子椰子』の方がこの人らしい(といっても勿論御本人を存じ上げないのだが)と思える。
 どのあたりが「らしい」のかというと、子供たちが二倍の大きさに膨らんだり、夫が行方不明になって、一日中捜しまわった挙句、長持ちの中にいるのを見つけたりするのであるが、それを淡々と書いてしまえるあたりが「らしい」のである。「子供をきちんとたたんで押入れにしまってから、せいいっぱい着飾り、できるだけ派手な帽子をかぶった」なんて、当然のように書ける人は、たぶん、あんまりいない。
 そうやって当然のように物語が進むので、読むほうも自然にそれを受け入れてしまう。暫くの間『椰子椰子』の世界にいて、現実の世界に戻ってこようとすると、うまく戻れない。そんなときは私も「身の危険を感じ、午後からは布団の中で小さい声で歌をうたって過ご」している。

 ギャンブルに人生を賭けた男たち マイケル・コニック著 文春文庫¥714
 私にとって「ギャンブルに人生を賭けた男」といえばときわ書房本店店長・茶木則雄である。本(『帰りたくない!』)を読むと、茶木さんはむかし相当ギャンブルに嵌っていたらしい。しかし、その茶木さんも、ギャンブルの合間に仕事をしていたかのようなかつての勢いはなりを潜め、今は船橋のご隠居として健全な日々を送っているのであるが、ここにはご隠居もびっくりのギャンブラーたちが続々と登場する。まさにギャンブルに人生を賭けているのである。
 最も印象的なのが「十万ドルの胸を持つ男」だ。十五ページを見て欲しい。この写真の男は、豊胸手術をして女性のような胸で一年間過ごすという賭けにのったのだ。やってみると大きな胸のある生活は思いのほか快適なのだそうで、最初は賭けのために大きくした胸を、約束の一年が過ぎても除去しなかったようである。いやはや凄い!

 イタリア歩けば 林丈二著 講談社文庫 ¥733

 読んでいる間、イタリア人は妙だなぁと感じるところがままあった。例えば、広場で犬が猫に向かってしつこく吠え立てていたとき、犬の飼主であるおばさんが現れて、とんでもない大声で犬を叱りつけた。お説教は、その場にいた人二、三十人に聞こえるように数分間続き、犬が逃げるとおばさんは、罵詈雑言を浴びせ掛けながら追いかけた。
 別のときには、教会の前で犬が交尾していたら、通りかかった紳士があっちでやりなさいと指をさして示した。まるで人間に注意するときのようである。
 私は読んでいて、イタリア人におかしさを感じてしまうけれど、イタリアの人にとっては、私が妙だと感じることが当たり前なのだろう。
 でも、林さんも少しふしぎな人で、木に登って木の又で落ち着いている猫を見て、「猫のなる木だ!」と、写真をパシャパシャ撮っていたようなので、イタリア人から妙な日本人だと思われているのかなと思った。