この夏はおもいきりヘンテコリンな話を読んでみる2008

どの本、どの映画あたりからそういう風潮が強まったのかは措くけれど、ちかごろ「感動したい病」が世の中を席捲している。
いや、それほど大袈裟なものでもないが、しかし感動さえできればオーケーというのはいかがなものか。それに、「感動」といってもいろいろある。「泣ける」だけが「感動」ではない。お手軽なテレビの○○ドラマを見たって人は泣けるのだ。
そんな貴兄に。ありきたりの物語ではもはや満足できない貴女に。この7冊を贈ります。
『神を見た犬』
ディーノ・ブッツァーティ  光文社古典新訳文庫 ¥720
『驚愕の曠野』 
筒井康隆 新潮文庫 ¥500
『スメル男』
原田宗典 講談社文庫 ¥660
 いやはや、面白い面白い。例えば表題作『神を見た犬』。神の御姿を見たとされる犬に四六時中監視され、右往左往する村人たちのうろたえぶりが愉快痛快。例えばブッツァーティの代表作に数えられる『七階』。重症患者ほど下の階に収容されるという病院に入院した主人公の運命とは。人生って得てしてこういうものだよなと身につまされたりして。はたまた『アインシュタインとの約束』。若き日のアインシュタインの前に現れた悪魔の目的とは? ブラックなオチが秀逸。などなど全二十二編を収録。神、宗教、戦争などを題材にしたものが多いが、どの作品にも、人間の愚かさや可笑しさが時に皮肉たっぷりに、時に優しい目線で描かれていてオススメですぞ。
池田(志津店)
 現在では「自選ホラー傑作集2」とサブタイトルがついた短編集に表題作として収録されている「驚愕の曠野」。なるほど、言われてみればこれほど怖い話もそうはないけれど、何よりこれは「ヘンテコリンな話」である。登場人物たちが作中である物語を朗読するという、いわゆる「入れ子構造」を持っているように見えるが、物語を読んでいたはずの人物が読まれているその物語の中に現れたり、物語の舞台が実はいくつもあるらしいことが途中で判明したりと、ひと筋縄ではいかない。読まれている物語の世界も、その物語を読んでいる側の世界も、どちらも恐ろしい世界だが、両者には深い関係が潜んでいる。もう一度読んだらそれが何なのかはっきりしそうで、しかしはっきりしてしまうとものすごく怖いものが見えそうで、繰り返し読んでしまう。収録されたほかの作品も凄くヘンテコ。特にいろいろな意味で読む者の神経を逆撫でする「二度死んだ少年の記録」は必読です。
近藤(新松戸店)
 スメル男。ということはつまり、臭い、薫る、におう男。嗅覚とは何でしょうか。いわゆる「五感」のうちもっとも疲労しやすく一種類の臭いを嗅ぎ続ければ数分で著しく能力は低下し、フェロモンを受容するはずの器官のすぐ近くではたらくが別物で、多くの動物では高度に発達しているがヒトの鼻は大したことがない……ようですね。そこを逆手に取られたら、もしも、東京全都を嘔吐させるような異臭がわが身から発生していたら。生物兵器です。嗅覚疲労のため自分だけはその異臭に気付けずにいるとしたら。公害です。公害対策基本法に触れるのかどうか。しかしスメル男である「ぼく」には味方が現れます。どころか、とてつもない青春の冒険へ向かっていきます。破天荒なサイエンスフィクションを味わいつつも、人体のミクロコスモスにも触れられる一作であると、思われます。
原田(千城台店)
『見えない都市』
イタロ・カルヴィーノ 河出文庫 ¥893
『一人の男が飛行機から飛び降りる』
バリー・ユアグロー 新潮文庫 ¥700
『文字移植』
多和田葉子 河出文庫 ¥504
 今回のラインナップにも上がっているブッツァーティといい、この人といい、イタリアにはヘンな話を書く作家が多い。ヘンテコ加減ではさらにその上をいくマッシモ・ボンテンペルリなんていう人もいたが、現在では入手困難、実に残念だ。で、この『見えない都市』だが、ここでマルコ・ポーロがフビライに語る街の姿を、たとえば詩のように味わってもよいだろうし、あるいは何かの心的状況の隠喩として読んでもよいだろう。また、彼の作品ではよく見られる「語る」行為そのものへの言及みたいなことに着目して読むのもおもしろいだろう――などと書くと何やら堅苦しい本のようだけど、まったくそんなことはない。むしろその逆。何というか、ちょっと不思議な絵を見ているような感じなのだ。不思議で、綺麗で、ときどき少し怖い。たまにおかしい。とにかくどこからでもよい、読んでみればわかります。ホントに綺麗な本だ。
近藤(新松戸店)
 ヘンといえばこれほどヘンな本もないだろう。ひとつが二、三ページ。短いものだと一ページもない超短編が一四九編。例えば最初の「牛乳」という話。「賭けをした男が牛の体内にもぐり込む。もぐり込んでみて、結局そこに居すわることにする。牛の内部は暖かく柔らかだ。(中略)それから男は横になり、うとうとする。もう落ち着きを取り戻した牛の動きは、ゆったりと眠りを誘う。男の友人たちはまだ外にいて、半狂乱になっている」。こんな調子。あるいは「冗談」という短編。「冗談のつもりで、一人の男が変装をする。男は母親に会いにいく。息子を待つ母親も上機嫌である。彼女も変装しているのだ」。こんな調子。読んでから寝ると夢に出てきそうな話。というより、夢の文法で語られたような話である。スジらしいスジはない。オチもない。でも何だかクセになる。楽しいような、不安をかき立てられるような、そう、「おもいきりヘンテコリン」なのである。
近藤(新松戸店)
 小説は物語だ、全部フィクションだ。そんなことはなからわかっているはずなのに、多和田葉子を読んでいると私はいつも自信をなくしてしまいます。バナナ園の国で翻訳を書上げようともがく主人公「わたし」。けれど、それは遅々として進まない。意味不明の単語の羅列だけが続く日々。翻訳部分と「わたし」の日常の描写が同じ字体で描かれているので、だんだんとふたつが入り混じって見えてくる。すると、読んでいるこっちも、小説にとりこまれそうになる。やがて「わたし」は、異国の人ともなじめず、わけのわからない後ろめたさに苦しみはじめる。思わず助けてあげたくなるけれど、手を伸ばしたら物語りにからめとられてしまうかもしれない。喜び、怒り、そして恐怖。そんな俗っぽい感情が、想像もつかない奇妙なカタチに姿をかえてこのバナナ園にぶら下がっているかもしれません。要注意です。
後藤(IY船橋店)
『百頭女』
マックス・エルンスト 河出文庫 ¥1008
 毎秒ごとに、変。めくるめくぱらぱら漫画。「百頭女」は、シュルレアリスムの代表的な画家であるエルンストが描き出す正真正銘のヘンテコ本。
 モノクロのおどろおどろしい絵は、コラージュという切り張り技法が用いられています。そこに添えられた短い言葉がまた、ヘンテコ度を上書き。「溺死者の優雅な仕草」「惑乱、私の妹、百頭女」・・・?ですよね。読めば読むほど、見れば見るほど混乱すること請け合いです。
 ヘンテコ好きな人も、そうでない人も、百頭女の前ではとにかくヘンテコになってしまう。さて、ヘンテコって何回言った?
後藤(IY船橋店)